カテゴリ
全体 世界に一つだけの花 弾丸すすきのツアー 2014~夏~ 14番目の月 小さな恋の歌 インスタントラブ ありがとうとチップスター 吉原体験記 飛田新地体験記 ホントに普通 エロの伝道師 ちょいエロ 風俗日記 痔を克服するための格闘 日本性交研究所 童貞課 変な日常 インチキ占い 普通じゃない人達 たまに真面目 夢を熱く語るおっさん メールはこちら お薦めサイト フェチを熱く! 出会い系サイト にゅーす 検索の旅 毛じらみ発生! ブログ強化月間 クリスマス○○○ タバコ呪縛からの開放 妄想の巻 ~について考える 山田のチンコ話 どうでもいい戯言 以前の記事
最新のコメント
フォロー中のブログ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2019年 02月 09日
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を学生時代に読んで、坂本龍馬のような歴史を作る日本人になりたいと本気で思った。
坂本龍馬は、剣術は北辰一刀流の免許皆伝の腕前であり、亀山社中という貿易会社を立ち上げて海運業をしたことでも有名だ。彼の代表的な功績は、薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結ぶ立会人として奔走したこと、そして土佐藩主山内容堂、後藤象二郎をもって将軍徳川慶喜と協議の末、大政奉還による王政復古の大号令で江戸城無血開城に導いた。 江戸時代が終焉を迎え、日本が近代国家の仲間入りを果たしたのは、ひとえに坂本龍馬がいたから成ったといっても過言ではなかろう・・・と思ったものだ。 歴史には隠れた事実がある。長崎のグラバー邸で知られるトマス・グラバーと坂本龍馬が繋がっていたのは知っている人も多い。彼は生粋の武器商人である。時は1865年。アメリカの南北戦争が終結し、エイブラハム・リンカーンがアメリカの初代大統領に・・・という時期。奇しくも日本は尊王攘夷叫ばれる明治維新が始まる直前である。 アメリカの南北戦争で供給過多であったミニエー銃などの中古兵器が、上海市場に流れてきてそれがグラバー商会を通じて日本に入ってくる。グラバーはスコットランド出身でイギリス商人である。皆さん知ってのとおり、薩摩長州等の討幕側にイギリス、徳川幕府側にフランスが付いていた。そして一番いけないのがイギリスとフランスがグルだったのだ。日本で内戦が始まれば、両国が武器の輸出で潤うようになっていたわけです。まあ武器の元締めはロスチャイルド家であると言われているので、グラバー邸にはフリーメイソンのシンボルマークが入った門柱があるのも頷けます。 大丈夫?皆さんしっかりと着いてきてくれていますか? なんか眉唾な話のように聞こえますが、調べれば調べるほど歴史の裏側には暴力とお金が暗躍しています。坂本龍馬が日本の将来を憂いて全国を飛び回っていた、その資金は竜馬の生家である才谷屋から出ていたと今までは本気で信じていた。坂本龍馬のカリスマ性をもってして、勝海舟との関係が構築されて海軍操練所に辿り着き、その先の亀山社中の海運業が成立していると。オレが信じていた坂本龍馬の人間性は、司馬遼太郎の竜馬がゆくのキャラクター。司馬遼太郎の小説の世界観そのものだったわけです。それが偶像であるとは思いませんが、現に坂本龍馬は武器取引で薩長同盟を牽引するし、その後ろ盾がグラバーだったりしたわけです。 でもここからが坂本龍馬の真髄です。イギリス・フランスの策略を知った時、大政奉還に向かって思考回路が動き出したのだと思うんです。船中八策も有名で、日本国内で内戦などしている場合じゃない。山内容堂・後藤象二郎・そして徳川慶喜、何よりこの人たちの判断が英断だったでしょう。 しかしながら裏で糸を引いている黒幕は、坂本龍馬の大政奉還への行動が自分たちの意に反しているばかりか、邪魔以外の何物でもなくなったのも事実。坂本龍馬が中岡慎太郎と共に近江屋にて暗殺されてしまったことが何よりの証拠だと思う。 結局は旧幕府軍と新政府軍は戦争を始めました。開国後は日本は近代国家の仲間入りをすべく、軍事力を強化して他国に侵略されない国を作り始めました。そこから先は、少し前に書いたところに繋がっていきますね。 竜馬がゆく、もう一度読み返してみようか。 ▲
by atukim
| 2019-02-09 20:20
| たまに真面目
|
Comments(0)
2018年 12月 25日
高校に通った3年のあいだに大切な人にたくさん出会った。その中でも色んな事を語り合い、高校を卒業した後の多感な数年間に苦楽を共有した人が二人いて、この二人以上の心の繋がりを他の人に求めても未だにそこにはたどり着けた試しはない。
キーワードは『青春の共有』と『苦難の共有』。大人になった今では絶対に作り上げることができない関係。 一人は今も頻繁に連絡を取り合うT男。彼とは同じクラスだっただけでなく、オレの全ての思い出に彼がいる。彼がいたから今のオレがあり、彼もまたオレがいたから今の彼がいる(勝手にそういうことにしておく)。高校時代の人間関係ってのは不思議なもので、選択しているようでそうではなく、流されるようにそこに辿り着くものです。やりたいことの波長が合うと、良くも悪くも大きな力となり人生を変化させるほどの行動力が生まれる。そして女の趣味は全く合わないのが良好な関係の秘訣かもしれない。お互い風俗好きが高じて、現在も年に一度は連れションならぬ『連れ吉原』が恒例となっている。何を隠そうオレに風俗の扉を開いたのがT男である。切ることなどできない関係なのである。 たとえ話ではないが、T男に何か良からぬことが起こってしまったらオレは真っ先に駆けつけたいと思う。逆にオレに問題が起こっても、T男にだけは知らせないでくれと勝手に思っている。 さてもう一人は女性なんだけど、クラスも別で高校2年の秋まで全く知らなかったN子。学校のイベントの運営をする委員会で出会い、高校時代は全く意見が合わずケンカばかりしていた。いや、あの時はほぼ一方的にオレが聞き役だったかな。オレの優柔不断な所が彼女は特にイライラしたようで、話をしていても鼻で笑われたり眉間をピクピクとさせながら説教されたことは数知れず。「そんなことは自分で決めなよ!」と何度も言われた。それでも仕事を全うするために毎日一緒に行動して言葉を交わして取り組んだ結果、行事の成功と共に彼女と一緒に成し遂げたことの大きさに、当時は本当に感動したわけです。卒業後も手紙を送って近況報告をしました。ちょうどEメールが出始めた頃でしたが、お互い敢えて手紙を選択したのは何とも言えない情のようなものがこもっているからだと思います。長期休みで会える時は、数え切れないほど一緒に酒を飲みました。酒の勢いで体の関係を持ちそうになりましたが、ホテルを前にして二人で『やっぱりやめとこうか^^』と笑いあったのは良い思い出です。手を繋いで歩いてみたこともありましたが、気恥ずかしさが先行してすぐにやめました。N子はとてもクールな雰囲気の女性で、見た目もカッコいい女で近づきにくいという人もいました。女性からも好かれる女って感じでしょうか。色々とあってN子は未婚の母となり、その頃にオレも仕事ばかりに注力するようになって疎遠になり、今は連絡も取れずどこに住んでいるのかもわかりません。それでも彼女とは今も強い繋がりを感じています。オレの人生にN子が及ぼした影響(良い意味で)の大きさは計り知れず、逆に彼女に与えた影響も少なからずといったところだと思います。男と女の関係にならなかったからこそ、今も強い絆を感じているのかなあ。絶妙な距離感が我々にはあり、お互いをリスペクトしていて良いところも悪いところもわかっている。そしてN子とはもう一生会えないような予感がどこかにあるので、穢れることのない宝物として完結している。 ▲
by atukim
| 2018-12-25 00:00
| たまに真面目
|
Comments(0)
2017年 10月 27日
ばあちゃんがさりげなく出した1万円札。
ばあちゃん、なんだよ、そのカッコいい仕草は。
▲
by atukim
| 2017-10-27 22:10
| たまに真面目
|
Comments(2)
2017年 09月 15日
少年時代のオレは、プロレスはどちらが真の男であるかを決める勝負みたいなものだと思っていた。アントニオ猪木は強くて誰にも負けない。長州力と藤波辰爾はいい勝負をし、木村健吾・木戸修・越中詩郎やアニマル浜口がいた。そして蝶野正洋・武藤敬司・橋本信也は闘魂三銃士としてまだベビーフェイスとして新人レスラーだったし、馳浩や佐々木健介、ヒロ斎藤が脇を固めていた。全日と新日、好き嫌いはあれどあの頃はゴールデンタイムにプロレスが放送されていたから、学校で話題にならない日は無かった。屈強な男たちのパフォーマンスは少年たちの憧れだった。
あれはプライドでの試合だったか、ドンフライと高山が試合をした時のことは今も脳裏に焼き付いている。もうその頃にはプロレスは深夜放送になっていたが、それでもコアなファンにはたまらない時代だった。『プロレスはやらせ』なんていう人もいて、オレ自身もある程度のシナリオはあるのを承知でそれを楽しんでいた。FMWを首になった大仁田厚がノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを引き連れて新日本プロレスに乗り込んできた時は、色んな意味で複雑だったがそれはそれで面白かった。真鍋アナとの三文芝居も当時話題になっていた。そんな新日本プロレスにも総合格闘技の流れが押し寄せてくる中で登場したのがドンフライだった。これがバチっとハマるヒールで、nWOやTEAM2000同様に魅力のあるキャラであり反則を繰り出しながら勝ちまくるのがたまらなく憎らしいのだ。そのドンフライがプライドに参戦。高山との殴り合いがそこで生まれたわけだ。 高山善廣がドン・フライとガチンコで殴り合っている姿を見て、当時のオレはテレビ画面を見て『マジか・・・』とつぶやいていた。高山は顔の形が変わるほどドンフライに殴られ、その時の顔の変形は傷は癒えてもその後そのままだったから凄まじい衝撃だったんだと思う。その後に高山は脳梗塞で倒れたが不死鳥の如く復活した。なんて人だ・・・と思っていた。 そんな高山善廣が今年5月の試合で頸椎を完全損傷し、現状で回復の見込みがないことを知ったのはつい先日だった。『嘘だろ・・・』と言葉を失った。事実はそれ以上でも以下でもない。専門家ではないが俺も長いこと生きてきたから、頸椎損傷が何を意味しているのかくらいは何となくわかる。 プロでも一瞬の気の迷いや、数ミリの動作のブレで取り返しのつかないことになってしまう。それは人間のやることだからどんなに訓練しても仕方が無いこと。でも生きているかぎり高山善廣はきっと諦めないはずだ。誰に何と言われようと、どんな形になろうと我々の前に現れてくれるはずなんだ。もし動けなくとも、高山善廣は文章で我々の前に現れてくれるかもしれないし、音声でメッセージをくれるかもしれない。我々は彼の戦う姿からメッセージを受け取っていたが、それ以外の方法でだって彼が戦う姿を見たい。あの戦いはどうだったとか、あいつはどういうやつだとか、色んな昔話だって聞きたい。過去の話なんてしたくないぜ!なんて高山善廣は言いそうだけど、我々は過去のベストバウトを永遠と語る高山の姿だって見ていられると思う。なぜならプロレスラーは我々の憧れだから。 ▲
by atukim
| 2017-09-15 22:22
| たまに真面目
|
Comments(2)
2017年 04月 25日
ツイッターやフェイスブックが流行して、今はインスタグラム。もちろんその最先端に乗り遅れないようにおいちゃんもスタートダッシュをキメようとしたけれど、インスタって写真がメインなんでしょ?ちとオレの色とは違うんだよねえ。そもそも写真をブログで使ったのは、どうでもいいネットで拾ったものをアップしたり、youtubeの拾い物を出しただけ。基本的にはビジュアルで表現しようなんてこれっぽっちも考えていないわけです。百聞は一見に如かずなんて言うけれど、写真なんて見た瞬間の印象だけで終わり。
自分の姿をネットに晒して、どこの誰だかわからない人に『イイネ』と言われていつまでも喜んでいたら本当に危険だというのを知るのはいつだろうね。若気の至りということで片付けていいものやら悪いものやら。 芸能人が『引退します』と宣言してテレビから消えたとしても、どこに行っても『あいつ〇〇じゃね?』と言われる。それは一般人とはかけ離れた報酬を貰ったり、気持ち良くチヤホヤされたんだからその代償なんだと思う。それが芸能人だし、それが嫌なら最初からメディアになんて顔を出しちゃいけないわけ。プライベートで行動している時に声をかけるんじゃねーよと芸能人は度々言うけれど、お前らにそれをいう権利はないじゃないの?とおもっちゃう。 真実はいつも一つ、、、なわけない。ビックリするけど、強者が強権を発動すれば白が黒になる。勝った者が正義。怖いよね。写真だってもう簡単に合成できて、嘘が真実になる。その点、文字は基本的に誰のものでもないから発信元の真偽を、読んだ人が判断するのが一番最初にしなければならない。受けた情報を使うのは自分自身。信じてパクることもあるだろうし、吐き気がするほど嫌悪感を感じて苛立つことだってある。 インターネットの世界で信じて良いことは本当に難しいよ。ただね、一つ言えることはリアルな生活の写し鏡であるのがネットの世界。自分の状態によって周りもかわる。 自分で話したことがブーメランのように帰ってきて後頭部に突き刺さる。チョー怖いw で、今日、オレが何を言いたかったのかっていうと、『閑さや 岩にしみいる 蝉の声』 ▲
by atukim
| 2017-04-25 23:42
| たまに真面目
|
Comments(0)
2014年 03月 11日
追われているものから必死で逃げて、追いつかれまいと必死だった。
中学生の時、1年に1度、学年毎に開催される2kmの長距離走で1年生の時になぜか1番になってしまった。それから3年間、クラスメイト全員からの期待を裏切らぬよう本気で1番を取りにいって3年間タイトルを死守した。 なぜか数学のテストで100点を取ってしまい、それからテストの点数を1点でも落とさぬよう必死で日々の授業を聞いて理解しようとした。そして一抹の不安があれば家に帰ってから教科書を必死で眺めた。 いつだっただろうか。そんな強迫観念から開放されたのは。 長距離走で、中学3年生のときに学年代表に選ばれて他学校との競技会に出場した。持久力には自信があったが、結果(順位)は中の下。井の中の蛙とはこういう事を言うんだと身をもって体感した。 とある期末テストの日。オレは前日に風邪を引いてしまい寝不足で、それでもテストを欠席するわけにはいかずに親からは止められたが強行で中学に登校した。テストは1日で全て行われ、5教科が『社・理・英・国・数』という順序で進められた。最初の3教科は何とか乗り切ったが、4時間目の国語になると意識が朦朧としてきた。もうボロボロになりながら5教科目。数学は絶対に落とすことのできない科目。その学期のメインは『連立方程式』だった。通常なら糞みたいに楽勝な問題なんだけど、1問目からXとYの値がどうしても導き出せない。何度も計算しても答えが毎回違う。50分の制限時間は刻々と過ぎていく。まだ山ほど問題が残っているのにオレは1問目でつまずいて全く前に進めなくなっていた。背中に冷や汗がスーッと落ちるのがわかった。その瞬間に言いようの無い吐き気が込み上げてきた。大惨事になるのが目に見えたので、オレは手を上げて担任の先生に体調不良を訴えてトイレに駆け込んだ。目を閉じると、具合の悪さと目に見えない強迫観念で押し潰されそうになり、加えてトイレのアンモニア臭で息が詰まる。頭によぎるのは白紙のままの答案用紙。その瞬間、必死で守っていたプライドが頭の中で音を立ててぶっ壊れた。 それから保健室へ行きしばらく横になっていると、担任が入ってきた。『具合はどうだ?』とオレに声をかけ、15分程度ではあるけれど数学のテストの続きの時間を取ってくれると何とも有難い言葉をもらった。その後、何とか気合を入れなおして15分間のロスタイムを消化。本来なら0点だったはずの数学テストが、合格点には程遠いが形式上70点ほどの点数をもらうことができた。しかしオレの実力は70点も無いことを自覚した。もっと強くならなきゃいけないと心の底から思った。 オレが言いたいのはね、心が折れてフルボッコにされた時、ようやく解放されることもあるってことなのよ。ずっと勝ち続けていれば負の感情に取り込まれることも無いんだろうけど、そこに存在する心の痛みや悲しみは人を強くする。挫折することで新たに始まる人生もある。 そういうことなのよ。 ▲
by atukim
| 2014-03-11 16:18
| たまに真面目
|
Comments(0)
2013年 11月 20日
日本は原子力発電無しで成り立つのか。
高校の授業で『原子力発電所は日本のベース電力、昼の12時に発生するピーク時の調整には火力発電所の電力を使用する』と習った。 小泉元首相の『原発即時ゼロ』という話題が先日出たが、現在の日本が原発ゼロの社会にシフトしていくというのはどうなんだろうか。はたして現実的なのかどうか。 原油・ウランをはじめとした『化石・鉱石燃料』には限りがあるのは誰もが承知していることで、あと何年使用したら無くなるのかという統計もすでに発表されている。だから近い将来も電気を使用した生活を継続させていくには、相応の代替エネルギーが必要となる。しかもそれは半永久的に継続して得ることができるエネルギーでないと意味がない。だとしたら、現在盛んに設置が進んでいる『太陽光発電』だったり『風力発電』といった自然のエネルギーを電気に変換する技術で乗り切れるということなのだろうか。 答えは否。 太陽光発電は太陽が出ていなければアウトだし、風力発電にしても風がなければ発電所にはなりえない。日本で消費される電力量を補うだけの施設を自然エネルギーだけでまかなうとなると、小泉元首相の構想は夢物語なのだ。 それでも可能性はゼロではない。日本だけの地産地消から脱却できれば、自然エネルギーだけで世界が動くかもしれない。例えば何の利用価値も無くなってしまった世界各地の砂漠地帯に太陽光発電システムを敷いたらどうだろうか。いや、いっそのこと宇宙空間に・・・なんてことも考え方としたら無くはない。太陽の日射熱を利用して発電したり、海の潮の満ち引きを利用して発電したり、海上で風力発電なんてのもいい。色々と案は出るけど、それらを実現するにはまず何をしなければいけないのか?電気の『送電網』の問題、発電所のメンテナンスの問題、そして蓄電の問題、最終的には電気を無線で飛ばすことができる技術、色んな技術革新が必要だったりするわけだ。そして最終的には、世界のどこに居ても安定した電気を使用できるようになったら、ラブアンドピースに一歩近づくような気がする。携帯電話があっという間に世界中どこに行っても使えるようになったのを考えれば、それは不可能ではないはず。 確かに小泉元首相が言うとおり、日本政府が主導すればそれらの分野は必ず活発に動き始める。そうすれば自然エネルギー推進の動きを潰そうとする勢力も少しは静かになるだろう。日本が時代の寵児となれる可能性は十分にある。原発輸出で金儲けをしている日本の大手企業もあるが、そういった企業も舵取りさえ間違わなければ、きっと今以上の発展が見込める。原発即時ゼロとなれば『原発反対』とか言ってその利権にしがみ付く山本太郎も消えるから一石二鳥だ。 とはいえそれはまだ先の話。今は需要と供給のバランスを絶妙に保つことによって電力システムは成り立っている。だとすれば、電気を使う側の我々がすべきことはいくつかあって、節電意識を高めて消費電力の少ない製品に乗り換えたりして、個人として電気を使う量を極力減らす努力をすること。電気を激しく消費するような団体・企業を拒否して発展させてはいけない。 原発から脱却するべきだと本気で思っている人は、少なくとも日本で原発がどのような働きをしているのかを知るべきである。そうすれば今まで日本がどうやって発展してきたのかという歴史も見えてくる。今の日本にとって原発の重要性は計り知れないけれど、その恐怖について知ってしまえば利便性と危険性の両天秤は必ずバランスを失う。キーワードは『半減期』と『核廃棄物』。 個が存在するから社会が成り立つ。逆に社会からもたらされている恩恵もたくさんある。我々はどこに向かっていけばいいのか。このままだと将来(オレは生きてはいないだろうけど)地球が猿の惑星になってしまうのではないかと、本気で思う今日この頃なのです。 ▲
by atukim
| 2013-11-20 11:31
| たまに真面目
|
Comments(0)
2013年 05月 15日
何が正解なのか。
中学・高校・専門学校・大学を卒業すれば、仕事を探して生きるための糧を手に入れる努力をし始めるのが日本人として課された義務なわけで(まあ中には働く事が困難な状況だったり、働くことを放棄してに生きている人もいるが)、皆少なからず何らかの職を持って生きている。 先日、懇意にしている友人と『職業』についての話をしていたんだけど、世の中には無数の仕事がある中から何でその仕事に就こうと思ったのかだとか、特定の職業に対する偏見なんぞがあったりするよねって話題で熱くなった。 昔から不思議に思ってただけど、皆が嫌がるような仕事をする人がいて世の中が成り立っているにも関わらず、得てしてそういう職業は労働環境や報酬には報われない場合が多い。逆に夏は涼しく冬は暖かい環境で働けたり、時間的な拘束時間が少ない人がどう考えても優遇されていたりしてね。 どんな人にも平等に職業を選択する機会はもちろんあって、そこで勝ちあがってきた人がピラミッドの上位に君臨する、社会のシステムがそうなっているんだと言えばそれまでだけどね。 それにしても『美味しい仕事』に人口が集中するのは誰が想像しても明らかなのに、日本はそれなりのバランスを保って生活が出来る環境にある。もちろん人不足が深刻な職業もあるけど。 最近は円安に振れてモノが高いとよく耳にするが、何でそんなにもモノが高くなるのかを考えてみたい。為替や物価が原因だという根本的なところはまず置いといて、たとえば身近な所で『食べ物』の値段が上がっている。小売店は別にボッタクっているわけでもなんでもなくて(まあボッてる所もあるが)、基本的には仕入れ値に経費を乗っけて店に並べているだけ。海外から輸入されているようなものは円高でモノの単価が上がり、物価の上昇で従業員の給与やその他諸々がさらに上乗せされて売値が上がる。まあこんなことは誰でもわかりそうなことだけど、130円で売られていたキュウリ5本が、ある時150円になると単純に『高くなった』と感じてしまう。しかし必要であれば折り合って買うほか無い。 家の換気扇が壊れたので業者に頼んだら3万円も請求された。高いか安いかは別として、確かに個人が3万円の出費をすることにはかなり抵抗がある。そしてキュウリの値段とは違って、普段目にすることが滅多にない換気扇の交換の金額となると状況は全く変わってくる。 工事を行う職人さんは会社に所属していたり個人でやっていたりと色々いるけど、彼らの1日の日当をインターネットで検索してみると、地域差はあれどおおよそ2万円前後で推移している。彼らに毎日一定量の仕事があれば2万円を時間換算して、換気扇取付工賃を算定すればいいけど、その換気扇交換工事のためだけに1日動く可能性だってある。大抵の場合は1日では済まなくて、お宅にお邪魔して壊れた換気扇はどんなものが据え付けてあるのか調査し、取付可能な機種を選定して8000円程度の換気扇を発注。モノが納品されて再度お宅に伺い工事を行う。これが一般的な流れになるんだろう。 どうでしょう?換気扇本体は8000円だけど、調査~機器の選定~それがお宅の壁や天井に収まり動き出す所まで行って3万円。高いのか安いのかを判断するのはもちろん我々消費者。だから業者もこれ以上はお客さんに負担させられないという思いで、限界の値段まで調整する。 上記はちょっと具体的過ぎたけどもう少しお聞きください。 物価上昇と為替に話を戻す。モノの値段は輸入されているモノであれば必然上がる。そして物価上昇に合わせて給与も上がるのが妥当であると考えると、世の中に出回る全てのサービスの値段を決めているのは、個別の事情など全く知る事の無い人たち。言い換えるのであれば、世の中の流れを動かす日本社会ピラミッドの頂点にいる人たちということになる。 換気扇を取り付ける職人さんも、仕事の帰り道ではキュウリをスーパーで買うだろう。130円で売られていたものが150円になれば憂うのも当然。超特有の話をしたけどこれが全ての人に当てはまってくるのである。 東証の株が上がって為替は円安。一部の有力者の采配で大きく国民感情が動く。なにが正しいのかは分からない。ニュースでは大手企業の給与は上がっているというけれど、そんなの日本国民の何%だというのか。多くの人はずっと据え置かれた所得で生きている。景気が良くなったなんて実感はこれっぽっちもない。 日本が豊かになったと指標が出る。しかしながら、しがなく生きる我々がその恩恵に与れるとは考えずらい。まあ世の中を支配しているのはどうしてもお金なんだよね。しかし今日オレが何を言いたかったのかっていうと、お金を稼ぐための『仕事』に対して、その対価とは別のところでやり甲斐を見つけなければいけないということだ。どんな職業でも誇りを持って勤めることが、真の幸せを掴む近道なんじゃないかってね。負け犬の綺麗事かもしれないけど、そういうことなんです。 ▲
by atukim
| 2013-05-15 14:38
| たまに真面目
|
Comments(0)
2013年 04月 02日
日本の近代史の教科書はクソ。
どうやらオレが勉強した頃と何ら変わりない、自虐的に書かれた教科書が今でも使われているらしい。とはいっても、歴史の授業で近代史について学んだか?と思い返すとあまり詳しく授業を受けた覚えが無い。当時はそんなことに全く違和感を感じなかったが、今思うとオレが習っていた先生達は『常識』を持った賢人だったのだと改めて思う。 歴史の授業って言うのは1年かけて縄文時代~現在までの歴史を追っていくことが多いが、縄文時代~平安時代のことをやけに詳しく授業をしている印象が強い。時間は進み、3学期の中盤に差し掛かってもまだ戦国時代をチョボチョボやっている。そして残すところ授業も3回しかないというところでも、まだ幕末に辿り着いていない。そしてとうとう最後の授業。そこでようやく坂本龍馬が出てきた。太平洋戦争や高度経済成長については最後の5分で先生がチョロっと説明する程度で終わり。 だから中学生だったオレの歴史の知識は、日本の起源のあたりはとても鮮明だけど近代史は全く白紙に近かった。坂本龍馬や新撰組、薩長同盟や奇兵隊なんていうのは男なら誰もが好きになり憧れる、今の日本を造った人たちの歴史だけど、オレが江戸時代の後期に興味を持ったのは多くの男性と同様で大学生になってから。それは物事を客観的な立場から見ることができるようになった年齢だったし、夢や希望で満ち溢れた時期だった。日本を劇的に変えた幕末の志士たちの命を賭けた生き方に共感したし、おっさんになった今も、司馬遼太郎を読んだりすると熱い気持ちになる。 さて、話を少し戻すけど、思想や思考回路が未発達の小学生に時期に太平洋戦争を扱った教科書、さらに言うと『自虐的に書かれた歴史』を意図的に教育しなかったオレの先生はやっぱり素晴らしいと思う。右でも左でもなく『教えない』という行為に感謝したい。 どこぞの国は嘘が書いてある教科書をさも『事実』であるかのように子供たちに教える。嘘っていうのはちょっと言いすぎかもしれないが、一方的な視点から書かれた教科書には真実は存在しない。教科書はドラマの台本ではないのだ。 最近は日本人でも韓国の歴史を扱った韓流ドラマを面白がって見る人がいるようだけど、あれは必殺仕事人よりも酷いレベル。南京大虐殺や従軍慰安婦の問題も、どこぞの国が日本人に『罪悪感』を持たせるための政治的な動きに過ぎないとオレは確信している。 ▲
by atukim
| 2013-04-02 19:39
| たまに真面目
|
Comments(0)
2012年 07月 19日
実際のところ、日本の消費税は上げるべきなのだろうか。
モノの本質を見ないで『決まったことだから仕方がない』って いう考え方はしたくないと思っている。 だってそうでしょう。現状、日本は借金まみれとは名ばかりの 潤った国なわけで、それでも『予算が必要だから消費増税』と 総理大臣はいうんだもの。ものには道理ってもんがあって、 それから外れていれば『おかしいよ』と言わなきゃいけない。 『国債=裕福な日本国民からの国への出資金』という構図なの だから、『国債=国の借金』っていうのは違う。 とはいえ国がわけのわからないことに金を使っているのは事実。 例えて言うのなら、身の丈に合わないような高級マンションに 住んでいるサラリーマンが『支出が過大なので給与を増やして ください。生活が成り立ちません』と言っているようなもんだ。 そんなヤツはすぐに首になるはずなのに、なぜか批判をする人は 少ない。むしろ何も言わない事をいいことに好き放題している。 もとい収入以上の支出をしても生活が成り立つような特異な世界 があるのならば、オレがその世界の住人になりたいくらいだよ。 もし消費税が上がった場合の税収はどこに使われるのだろうか。 色んな発表や資料を読み上げると『社会保障』がキーワードに なってくる。ようは高齢者の医療介護だったり、子供手当てや 年金などに充てられるということなんだけど、ここでちょっと した疑問が頭をよぎった。 消費税を5%上げることでおよそ13兆円を越える税収が 見込まれるという。それを全て社会保障にぶっこむのだ。 その数字は半端なもんじゃない。有益に使うのなら何も文句は 無いが、どうしてもきな臭い感が拭いきれない。 日本は高齢者がこれからどんどん増える。政治家は、選挙には 欠かさず行く『高齢者』の利益になることばかり進めるのは そういった背景にある。若い人たちが意見と主張を持ち、積極的 に政治に参加することで自分達の生活をより良くする政策論が 成されるようになるんだよね。これは間違いないと思う。 日本を支えてきた人たちを守るのはもちろん大切だけど、第一線 を去った人たちだって沈没を待つ泥舟日本なんて望んでいる わけない。そう信じたいよね。 ってなことをダラダラ書いたけど、オレが言いたいのは 消費税は上げたら最後、下がることは無いからみんな本気で 考えたほうがいいってことだ。そして公約そっちのけで滅茶苦茶 やってる民主党の動向をしっかり見ておくべきだ。 ▲
by atukim
| 2012-07-19 18:02
| たまに真面目
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||