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2012年 01月 24日
虎舞竜のロードを聞いて泣いた夜。
感傷的な気持ちになっていたのかもしれないが、 『何でもないようなことが幸せだったと思う』というフレーズが あの旋律に乗って耳に入ってきたとき、心が震えた。 音楽は人の心をいろんな色に染めるなぁって思った。 日々を愚直に繰り返すのは退屈だ。しかしそれが人間の本来の 生き方なんだと思う。娯楽や誘惑が渦巻く現代社会。自らの意思 で染まっているようでいて、しかしそれは違っていて染められて いる、というか染まっていく。そして気付かないうちに色んな モノを失っていく。 『社会の歯車になんてならない』と意気込んでいた。 若さは人間にとって大きな武器だ。野望というか、夢はとてつも なく大きい。しかしながら現代教育制度の競争に負け、就職活動 で負けて、それでも自分の生きるための道を探すうちに少しずつ 考え方が変わっていく。それが『大人』になるということ なんだろう。 何のために生きているんだろうか。 お金を稼いで欲しいものを買ったり、旨いものを食べたりする。 それは一つの欲望。誰かにプレゼントを贈ったり、幸せな時間を 共有するために消費することも一つの欲望。自分のため相手のため それぞれ色んな欲望があるけど、後者のほうが圧倒的に幸せ指数は 高い。遅かれ早かれそれに気がつくんだけど、先のも書いた 『大人』になってからそういった類の贈り物を受けると、今まで 何の疑問も持たずに受け入れてきたのに、そのありがたさに 心を打たれる。 『何でもないようなことが幸せだったと思う』 家族はそこに存在しているだけで心強い。傷つけるようなことを 言っても見捨てないでくれる。どんなに自分がダメな人間でも 『お前は最高だよ』と言ってくれる。無視しておけばいいような 癖を『あなたのためなんだから』と注意してくれる。誠実に生きて さえいれば、きっとお天道様が見ていていざという時に救って くれると諭してくれる。 しかしそんな大事な人と別れなければいけない時が来る。 それは誰しも同じで、遠い将来かもしれないし突然今日その日が やってくるかもしれない。人間の生き死にについて、自分の命を 持って考えさせる機会をくれるのもまた家族。 『ここから先は自分で考えなさい』と何も言わずに去っていく。 オレの母の父と母(じいちゃん、ばあちゃん)は、オレが幼稚園 の時に二人とも亡くなってしまった。じいちゃんが先に逝き、 ばあちゃんも後を追うように逝ってしまった。 思い出はほとんど無い。二人の写真を見てもピンと来ないのが 寂しいくらいだ。 唯一覚えているのは、じいちゃんは右腕が、二の腕の辺りから 無かった。母がまだ幼い頃、仕事中に印刷機に腕を巻き込まれた らしい。左腕一本で新聞配達をしたりして3人の子供を貧乏ながら も育てた。 余談だけど、母の昔の写真を見せてもらったことがある。 周りの友達は靴を履いているのに、母だけが下駄を履いていた。 しかもそれはじいちゃんのおさがりの下駄。 それでも母はたくましく生き抜いた。 オレが物心付く前に死んでしまったじいちゃんばあちゃん。 孝行さえさせてくれなかったなあ。 それでもね、いつも思うことがある。 自分が今ここに存在すること、それだけで喜んでくれるはずだ。 じいちゃんばあちゃんが生きた証がオレであり、伯父や伯母は もちろん、自分を含めた兄弟・従兄弟がさらにその血を脈々と 受け継いでいく。魂は我々の心の中に。 もしももう一度 あなたに会えるなら たった一言伝えたい ありがとう KOKIA『ありがとう』引用
by atukim
| 2012-01-24 20:08
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Comments(4)
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yoyatola at 2012-01-24 21:00
私も私自身が両親や祖父母たちの筆舌に尽くし難い人生の、
しかし確かにここにいて生きたことの、生き証人だと思って生きています。 私が自分で命を絶たない理由は(倫理や道徳ではなく)その一点に尽きます。 無理やりにでも元気でバカ笑いしながら生きてやろうと思っています。 ↑ って結局いつも何にでもケンカ腰、人生に対してまで(笑)
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俺のじいちゃんの家も、昔の写真を見るとボロでしてねぇ。
昔話に出てくる農家ですよ、まさに。 それが今や、田舎のしっかりした家になっている。 母親や叔父らの昔の写真見ても、農家の子どもって感じです。 それが、母は医者の母になり、叔父は県議会議員になり、 もう一人の叔父は東京で結構いい仕事で俺より稼いでいる。 それもこれも、すべてじいちゃんがあのオンボロ家で始めたことが最初。 うちの母方親族のファミリー意識の強さは、きっとあの貧乏暮しに起因しているなぁと。 そんなことを考えると、あぁ、じいちゃんガンバったんだなぁ、ってそう思います。 今度は俺が、俺の孫らに「良いじいちゃんだった」て思われる生き方をする番ですね。
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atukim at 2012-01-26 07:39
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atukim at 2012-01-26 07:48
>ER殿
きっとひ孫の顔を見るために、もう少しだけ生きていたかったと お祖父様も思っていたかもしれませんが、子供、孫の活躍を 老後の悠々自適な生活を送りながら見ていたお祖父様は、オレが 言うのもあれですが幸せだったんではないでしょうか。 お祖父様の姿を写真で拝見すると、笑顔が溢れています。 家族に恥じない生き方をしたいと、改めておもいます。
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